「魔女っこ姉妹のヨヨとネネ」 感想

この記事は

「魔女っこ姉妹のヨヨとネネ」の感想記事です。
ネタバレありますのでご注意下さいませ。

はじめに

「魔女っこ姉妹のヨヨとネネ」と「HUNTER×HUNTER」梯子鑑賞中です。
先に「ヨヨとネネ」を見終わりましたので感想。

感想

ピンクの森に緑や青の木々。
非常に色鮮やかな世界観は、アニメだからこそ違和感なく成立させられる要素です。
見た目のカラフルさに負けない、圧倒的なまでの「アニメ見た」感を満喫出来る非常に楽しい映画でした。

主人公のヨヨ達が暮らす魔の国と現実に則した世界を舞台にした物語で、大筋の話こそ真新しさって感じなかったんですが、だけれど、この手の物語は安心してみていられます。
例えば、魔法少女(魔女)が主人公となると、ほぼ必ずといっていいほど彼女達は魔力を失います。
思春期特有の力だとか、理由は様々ですけれど、作中で力を失ってしまう。
この映画でも、ヨヨが魔力を失ってしまいます。
現実世界では人は皆魔力を持っていても、すぐに拡散してしまうからといった説明がなされる訳ですが、そういった理由はさておいて、力を失う理由としては、魔法が便利すぎるからだと思っております。

魔法って何でもアリじゃないですか。
再生も破壊も、創造も消失も。
何だって出来ちゃう。
死んでしまっても体さえあれば、簡単に蘇生も出来ちゃう。
何か事件が起きても、あっさりと解決できちゃったりして、物語として成立させにくいという理由があるんじゃないでしょうか。

魔力を失うのは、そういった作劇上の理由もあるんでしょうし、その「解決法」も一本道。
魔法は魔力だけで起こせるわけではないとは作中の台詞でありましたけれど、人の願いだったり頑張りだったりが魔法のような奇跡を起こせるんだよというメッセージも盛り込めるのかなと。
盛り込まれていたなと。

もう1つ「魔力を失わせる」意義として、現実の厳しさも謳われていた気がします。
魔の国では、簡単に蘇生できるとも書きました。
ニルスというカエル(の姿をした呪いが強すぎて、先祖から呪いを受け継いでしまったと思われる可愛そうな人)が、横浜中華街の大門に押しつぶされて死んでしまっても、適当な感じで蘇生w
魔の世界での死生観が描かれていて。

そんな世界で生まれ育ったヨヨも、だから最初の頃は命の大切さを分かってなかった。
自分が助けた少女の母親が、「娘を助けてくれた事」に感謝の姿勢を見せても、いまいち理解してない描写もあって。
亜紀が怪我した際の孝洋の「死ぬかもしれなかった」という文句にも反応がおかしかったり。
死を実感してなかったヨヨも、中盤でビハクの「死」で以って、現実の厳しさというのかな。
僕らにしたら当たり前のことですけれど、「死んじゃったら生き返れない」事を身に染みて感じていました。

魔法の消失とともに、この手の描写は、「現実は魔法のようなファンタジーではない。けれど、頑張れば報われる」って事を言いたいのかもしれないなと思ったりもしたのです。
が。
そんなこと割とどうでもいいです。

頭を空っぽにして目いっぱい楽しんでほしい映画ですし、楽しめる映画です。
ポンポンと変わる画面の移り変わりの速さ。物語の疾走感。
そんで、お約束かもですが、感動のクライマックス。
表情いっぱいで生き生きとしたヨヨの大活躍をでっかいスクリーンで楽しんでもらいたいです。

疑問点もありましたが

いっこ分からない部分がありました。
亜紀の母の事。
魔の国に現れた「失踪した姉を探している人」は誰だったのか。
明言されてなかったので、憶測でしか理解できない部分でした。

考えられるのは、本当に妹だった場合。
現実世界に行ってしまった姉を探していた正真正銘本物の妹さん。
顔が同じだったので、その場合は双子ということでしょうか。

もう1つは、幽霊みたいな存在?
現実世界では亡くなってしまったけれど、魂は魔の国に戻ってきているとか。

どっちか分からないんですが、後者として考えると、割とすんなりと納得できる点も多いかなと。
事件が起こってしまうことを察知したお母さんは、その解決策としてヨヨを使ったのかもしれないと解釈。
無理矢理にヨヨを巻き込んで、自分の愛した夫と娘を守らせ、あわよくば、娘に魔の国を見せれたら…みたいな。
ちょっとした賭けですが、以来成功率100%、底なし魔力のヨヨならば…という算段もあったのかもしれませんね。

なんにせよ悪者のいない物語は、見ていて清々しいものでした。

終わりに

簡単ですが感想でした。
多分僕はこの映画のBDを買います。

映画としてのスケール感もさることながら、見ていて本当に楽しかったんですもの。
年の瀬に、こういう幸せを体感できたことを感謝感謝ですね。

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